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ネットオークション [買い物]

インドを放浪していた。かの地では一流のレストランやホテルをのぞく、庶民の店や露店やリキシャ(人力のタクシー)などは定価というものがない。もちろん相場はあり、現地の人は簡単な交渉で値段を決めて買っているが、いざ旅行者となると相手も足元を見る。そこで感じたことなのだが、値段の考え方が日本とは異なる。
日本は形式的平等の社会なので、ある価格で売ったものを他の客に高い値で売り、それを後の顧客が知った場合問題になる。ときどきニュースでみかけるように、マンションを購入したが、その後業者がディスカウントして販売すると、訴訟になったりする。
インドではこう考える。同じ商品でもある人は100ルピーで買い、ある人は10ルピーで買った。それは前者の人の価値観では100ルピーの値打ちを認めたが、後者は10ルピーの価値しか認めなかっただけだと。あるいはお金があって出せる人は高く買い、そうでない人には安く売る互助社会的要素もある。
むこうの人は金の交渉についてはうるさい。あるときねぎってリキシャに乗ったが、途中で止まりお前の出した金ではここまでだと言われたので、約束が違うと口論していたら、まわりの人が集まってきて、お前が悪いだの、わたしが悪いだの当事者そっちのけで議論を始めた。わたしは当初の約束の金をリキシャのおやじに押し付けて、その議論の輪をこっそり抜け出したが、いいのわるいの無関係の人がまだやっている。そんなお国がらだが、この価格の考え方にはひとつの見識を感じる。この考え方からみれば、マンションをその価格で納得して購入して後から価格が下がったと騒ぐのは、契約違反があれば別だがおかしい。そのとき自分の価値観で納得して契約したはずだからだ。だから金を使うのはしんどいと思うのだが、こうした考え方には、同じものを自分より安く買った人がいると、それはずるい・悔しいという思いがあり、そこには自分の価値観を金だけで決めている、ある種の貧しさを感じる。ネットオークションの話の前置きが長くなった。次を本論とする。


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